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エーリッヒフロム『愛するということ』を読んで愛は技術だと学んだ【名言の要約】

最近愛とか恋とかに悩んでいるかっくんです。

特に何も悩みはないんですけど、周りが結婚していく中でぼくは結婚したいとも思わないしみんなはどうやって恋愛してるのかが疑問。

この前「「付き合う」って?定義とか意味ってあるの?と言う記事を書きました。

恋愛は楽しいけど、消費していると思ってしまうというかあまり積極的になれないのです。

「付き合う」って?定義とか意味ってあるの?

 

なので今日は深く「愛」について知るために愛についての本を読んだので紹介したいと思います。

エーリッヒフロム『愛するということ』

エーリッヒフロムは1900年ドイツ生まれの社会心理学、精神分析、哲学の研究者です。

代表著書の『愛するということ(The art of loving)は1956年に出版されて以来、各国で大ベストセラーとなっています。愛については万国共通で関心があるみたい。

人を愛するって感覚的なもので、恋に落ちるとかよくいいますよね。

運命的に出会ってデートを重ね、どんどん恋に落ちていくというラブストーリーはよくあります。愛は勝手に芽生えるものという考え方が世間一般論。

ですがフロムの場合は全く違い、「愛は技術である」と断言しています。

多くの人を敵に回しそうですが、、、笑

 

愛は技術なのか?フロムの意見を元に持論を述べていきたいと思います。

あくまで「愛されるための本」ではなく「愛するための本」です。

愛は本当に技術なのか?【名言】

恋は「落ちるもの」という幻想が世の中には一般的です。

「恋に落ちる」すなわち運命的な出会いを果たすことができれば、その人を一生愛していけると思っている人が大半だということ。

 

この考え方でいくと、愛に技術は全く必要なくなってしまい、ただ誰かと運命的な出会いを果たすことだけが重要になってきます。

 

この点に関してフロムはこのように論じています。

  • 愛することは簡単だが、愛するにふさわしい相手、あるいは愛されるにふさわしい相手を見つけることはむずかしい - 人びとはそんなふうに考えている。
  • 恋に「落ちる」という最初の体験と、愛している、あるいはもっとうまく表現すれば、愛の中に「とどまっている」という持続的な状態とを、混同していることである。

恋に落ちるという体験は感覚的なものですが、愛するということは技術的に身に着けなくてはならないものなのです。

 

じゃあ愛することってどんなこと?

相手を幸せにしたいと思うこと。それには重要な前提がある。

「自分が相手にどう思われようと与え続けるもの」であるということだ。

 

一般的に人間は承認に欲求が備わっており、

  • これだけしてあげたんだから、これくらいはしてよ!
  • こうしてあげたら自分が良い風に見られるからする!

と見返りを求めたり、自我を満たす行為をしてしまったりする。

 

このようなことを考えずにただただ与え続けることが愛なのだ。

裏切られることがあったとしてもそこにリスクを感じず与え続けるのが愛なのだ。

それらを容認し、許容できる寛大さも持つ必要もある。自分が傷つくことがあるかもしれない。それには自己の確立が欠かせないのだ。

 

そこでフロムは技術としての愛に大切なことが4つあると言っています。

 

技術としての愛に大切なことって?【要約】

フロムは技術としての愛の定義として、4つの重要な言葉を挙げています。

  • 配慮(気づかい)
  • 責任
  • 尊敬
  • 理解(知)

それぞれ、詳しく見ていきます。

 

配慮(気づかい)

もしある女性が花を好きだといっても、彼女が花に水をやることを忘れるのを見てしまったら、私たちは花にたいする彼女の「愛」を信じることはできないだろう。

「愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけること」である。

 

責任

たいていは義務、つまり外側から押し付けられているものと見なされている。

しかしほんとうの意味での責任は、完全に自発的な行為である。

責任とは、他の人間が、表に出すにせよ出さないにせよ、何かを求めてきたときの、私の対応である。

「責任がある」ということは、他人の要求に応じられる、応じる用意がある、という意味である。

 

尊敬

尊敬とは、人間のありのままの姿をみて、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである。尊敬とは、他人がその人らしく成長発展してゆくように気づかうことである。

私は、愛する人が、私のためにではなく、その人自身のために、その人なりのやり方で、成長していってほしいと願う。いうまでもなく、自分が独立していなければ、人を尊敬することはできない。

 

理解(知)

人を尊敬するには、その人のことを知らなければならない。その人に関する知識によって導かれなければ、配慮も責任も当てずっぽうに終わってしまう。

愛の一つの側面としての知識は、表面的なものではなく、核心にまで届くものである。自分自身にたいする関心を超越して、相手の立場にたってその人を見ることができたときにはじめて、その人を知ることができる。

 

4つの要素がすべて必要である

「配慮、責任、尊敬、知」はたがいに依存しあっている。この一連の態度は、成熟した人間に見られるものである。

成熟した人間とは、自分の力を生産的に発達させる人、自分でそのために働いたもの以外は欲しがらない人、全知全能というナルシシズム的な夢を捨てた人、純粋に生産的に活動からのみ得られる内的な力に裏打ちされた謙虚さを身につけた人のことである。

このように読み解いていくと、愛する能力は生まれつき備わっているものではなく日々の生活で磨かれ、実践していくものということがわかります。

 

4つのことを意識し、相手に接することで自然と必要な技術が鍛えられていきます。

「愛するということは、技術である」と言ってしまうと少し冷たいような気がしますが、愛は身につけることができる能力です。

その能力を駆使して人を愛することができれば、それは間違いなく人生において尊いものになります。

 

まとめ:愛は技術だということを認識する

結論:愛は難しいです。

本を読んだくらいじゃわかりません。

ですが確実に愛に対する価値観や姿勢が変わりました。色んな意味で強くなれました。

 

自己を確立して本当の意味で相手を愛することができればいいなと、そんな人と一緒に居れたらいいなと思った今日この頃です。